その圧倒的な歌唱力から「クイーン・オブ・ソウル」の呼び名を持つアレサ・フランクリン。
2018年8月に膵臓がんで惜しくも亡くなりましたが、彼女の残した功績は決して色褪せることはありません。
そんなアレサ・フランクリンの76年間の人生は、表向きは華やかに見えましたが実際は、
- 12歳の若さで子供を出産
- 夫からの暴力に苦しむ
など決して順風満帆ではなく、波乱に満ちたものでした。
目次(コンテンツ)
アレサ・フランクリンの生い立ち
出典:http://www.wuwm.com/post/all-things-you-are-arethas-life-jazz
まずはアレサ・フランクリンの生い立ちから見ていきましょう。
アレサ・フランクリンは1942年に教会の娘として生まれています。
父のCL・フランクリンは、高名な牧師であり「黄金の声」と評されるほどのシンガー。
母のバーバラ・シガーズ・フランクリンも、優れたピアニストでありシンガーでした。
そんな音楽的な才能が豊かな両親の元で育ったアレサは、幼い頃から音楽的な才能を発揮!
父が行っていたアメリカ各地を回る巡業に、10代の頃から同行しています。
12歳で子供を出産したアレサ・フランクリン
そんなアレサですが、12才の若さで妊娠し、第1子(長男)を出産しています。
10歳の頃に母を亡くしているアレサは、父親と過ごす時間が長かったため、
「赤ちゃんの父親は、実父のCL・フランクリンではないか?」
という憶測が流れたこともありましたが、
実際は、近所に住んでいた少年が赤ちゃんの父親だった、ということが判明しています。
さらにアレサは15歳のときにも妊娠し、第2子(次男)を出産。
10代の若さで2人の子供を育てる「未婚の母」になっています。
夫からの暴力に苦しんだアレサ・フランクリン
16歳でレコードデビューを果たしたアレサ・フランクリンは、19歳のときにマネージャーのテッド・ホワイトと結婚。
このとき初めてアレサは父親の元を離れることになりました。
2人の間には、アレサにとって第3子(三男)となる子供も生まれ、幸せな生活が続くかと思われましたが、その期待は淡くも消えることになります。
その原因は、夫のテッド・ホワイトによる暴力!
ニュース雑誌にも「公衆の前で妻を暴行」と報じられたこの事件をキッカケに、翌年2人は離婚。
2人の結婚生活はわずか数年で終わりを迎えています。
アレサ・フランクリンの4人の子供(息子)たち
アレサ・フランクリンは4人の子供を残しています。全員息子で、
- 長男 クラランス・フランクリン(12歳のときの子供)
- 次男 エドワード・フランクリン(15歳のときの子供)
- 三男 テディ・リチャーズ(最初の夫テッドとの子供)
- 四男 ケカーフ・カニンガム(離婚後の恋人との子供)
4人とも父親が違う、という事実もアレサの波乱の人生を物語っているようですね。
ちなみに三男のテディ・リチャーズは、ソロシンガー、ギタリストとして活躍しています!
母アレサのコンサートでもギターを弾き、自身のアルバムも2枚発表しているんですよ♪
さいごに アレサ・フランクリンの波乱の人生
アレサの人生は「そのままドラマになるのでは?」と思うほど波乱に満ちていますよね。
ですが、そんな苦難の多い人生だったからこそ、彼女の歌には深い味わいが生まれ多くの人の胸に響いたのだろうと思います。
そんなアレサ・フランクリンの歌には、
- 女性解放
- 人種差別撤廃
のメッセージが込められたものも多く、現代でも人権問題に関する運動に広く用いられています。
こちらはアレサ・フランクリンの代表曲『ナチュラル・ウーマン』。世の中の様々な抑圧に対する解放を歌った名曲です!
もちろんメッセージ性だけでなく、音楽的にも優れたアレサ・フランクリンの名曲の数々を、この機会にぜひ聴いてみてくださいね♪
関連記事(アレサ・フランクリン)